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東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)205号 判決

昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件原告

昭和五八年(行ウ)第四九号事件被告補助参加人 ニチバン株式会社

右代表者代表取締役 大塚光一

右訴訟代理人弁護士 高井伸夫

同 西本恭彦

同 杉山忠三

昭和五八年(行ウ)第四九号事件原告

昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件被告補助参加人 合成化学産業労働組合連合ニチバン労働組合

右代表者中央執行委員長 佐藤功一

〈ほか一名〉

昭和五八年(行ウ)第四九号事件原告 窪田茂伸

〈ほか一名〉

右四名訴訟代理人弁護士 加藤康夫

同 川島仟太郎

両事件被告 中央労働委員会

右代表者会長 石川吉右衛門

右指定代理人 萩澤清彦

〈ほか三名〉

主文

1  昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件原告ニチバン株式会社の請求を棄却する。

2  被告が中労委昭和五五年(不再)第七七号、同年(不再)第七八号事件について昭和五七年一〇月二〇日付けでした命令中、左記の部分を取り消す。

愛知県地方労働委員会が愛労委昭和五二年(不)第六号事件につき昭和五五年一二月四日付けで発した命令のうち昭和五八年(行ウ)第四九号事件原告遠藤隆雄が同事件被告補助参加人ニチバン株式会社から配転命令撤回後に命じられた業務について不当労働行為に当たらないとして救済申立てを棄却した部分に対する再審査申立てを棄却した部分

3  昭和五八年(行ウ)第四九号事件原告合成化学産業労働組合連合ニチバン労働組合の請求中前項に係る部分を除くその余の請求並びに同事件原告窪田茂伸及び同都築則行の各請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は、昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件に関するものは同事件原告ニチバン株式会社の負担とし、昭和五八年(行ウ)第四九号事件に関するものはこれを三分し、その一を同事件被告中央労働委員会の負担とし、その余を同事件原告合成化学産業労働組合連合ニチバン労働組合、同窪田茂伸及び同都築則行の負担とする。

事実

以下において、昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件原告であり、昭和五八年(行ウ)第四九号事件被告補助参加人であるニチバン株式会社を「当事者会社」と、昭和五八年(行ウ)第四九号事件原告であり、昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件被告補助参加人である合成化学産業労働組合連合ニチバン労働組合を「当事者組合」と、同原告及び同補助参加人である遠藤隆雄を「当事者遠藤」と、昭和五八年(行ウ)第四九号事件原告である窪田茂伸を「当事者窪田」と、同原告である都築則行を「当事者都築」と、両事件の被告である中央労働委員会を「被告」という。

第一当事者の求めた裁判

(昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件)

一  当事者会社

1  被告が中労委昭和五五年(不再)第七七号、同年(不再)第七八号事件について昭和五七年一〇月二〇日付けでした命令中、当事者遠藤に対する配転命令を不当労働行為として救済を命じた愛知県地方労働委員会の昭和五五年一二月四日付け命令に対する再審査申立てを棄却した部分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二  被告

1  当事者会社の請求を棄却する。

2  訴訟費用は当事者会社の負担とする。

との判決を求める。

(昭和五八年(行ウ)第四九号事件)

一  当事者組合、当事者遠藤、当事者窪田及び当事者都築

1  被告が中労委昭和五五年(不再)第七七号、同年(不再)第七八号事件について昭和五七年一〇月二〇日付けでした命令中、当事者遠藤が当事者会社から配転命令撤回後に命じられた業務についての救済申立てを棄却した愛知県地方労働委員会の昭和五五年一二月四日付け命令に対する再審査申立てを棄却した部分並びに当事者窪田及び当事者都築に関する部分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二  被告

1  当事者組合、当事者遠藤、当事者窪田及び当事者都築の請求を棄却する。

2  訴訟費用は右当事者らの負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

(昭和五七年(行ウ)第二〇五号事件)

一  請求原因

1  当事者

当事者会社は、医薬品、接着テープ等の製造、販売等を目的とする株式会社で、肩書地に本社を置き、愛知県安城市に安城工場、埼玉県入間郡に埼玉工場、大阪府藤井寺市に大阪工場を有し、その従業員数は約八三〇名である。

当事者組合は、当事者会社の従業員約二一〇名で組織する労働組合で、上部団体として合成化学産業労働組合連合(以下「合化労連」という。)に加盟し、肩書地に本部及び入間支部を置き、安城工場内の安城支部ほか四支部を有する。

2  本件命令の成立

当事者組合、当事者遠藤、当事者窪田、当事者都築及び訴外上之孝二は、当事者会社を被申立人として、愛知県地方労働委員会(以下「愛労委」という。)に対し、当事者会社が昭和五二年一二月二一日付けで当事者遠藤、当事者窪田、当事者都築及び上之を配置転換(以下「配転」という。)したこと(以下「本件配転」という。)並びに当事者会社が当事者遠藤及び上之に対する配転命令撤回後同人らを簡易カッターの入替え、仕立て直し作業等に従事させたことが不当労働行為であるとして、救済の申立てをした(愛労委昭和五二年(不)第六号)。愛労委は、昭和五五年一二月四日付けで、当事者遠藤に対する配転命令は不当労働行為であるが、その余の申立ては理由がないとして、別紙(一)記載の内容の主文の命令を発した。愛労委の命令に対して、当事者会社が再審査申立てをしたところ(中労委昭和五五年(不再)第七八号事件)、被告は、昭和五七年一〇月二〇日付けで、別紙(二)のとおりこの再審査申立てを棄却する旨の再審査命令を発し(以下「本件命令」という。)、この命令は同年一二月六日当事者会社に交付された。

《以下事実省略》

理由

一  本件命令の成立

両事件の各請求原因第2項記載の事実は、当事者間に争いがない。

二  当事者

1  当事者会社及び当事者組合の概要が、両事件の各請求原因第1項記載のとおりであることについては、当事者間に争いがない。

2  当事者遠藤

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者遠藤は、鹿子島県種子島の出身で、地元の鹿児島県立種子島実業高校農業科を卒業後、いったん他に就職したが、昭和四一年三月、当事者会社の東京工場(現在は移転して埼玉工場となる。)に、特に勤務地を限定せずに中途採用された。当事者遠藤は、製造業務のうちの溶剤展布作業に従事し、昭和四二年七月に安城工場へ配転され、製造課第一係でゴム練り、かくはん作業に従事し、本件配転当時は同課第三係で裁断作業の総括的業務に従事していた。その間、同当事者は、当事者組合の組合員として、昭和四三、四四年度には安城支部青年婦人部副部長、昭和四八年度には支部執行委員、昭和四九年度には中央執行委員、昭和五〇年度には中央委員、昭和五一年度には支部書記長の地位につき、本件配転当時は引き続き支部書記長の地位にあった。

当事者遠藤は、昭和五二年一二月二一日付けで、福岡支店鹿児島出張所への配転命令を受け、販売教育のためひとまず名古屋支店へ赴任するよう命じられた。しかし、同当事者は、右配転命令の効力を争って名古屋地方裁判所に地位保全の仮処分申請をし、昭和五三年三月二四日、いったん異議をとどめて名古屋支店に赴任したものの、同月三一日、右仮処分申請が認容されたため、当事者会社に対して原職復帰を強く要求し、同年七月一七日から昭和五五年五月一二日までの間、安城工場第三製造課長付として勤務した。

なお、当事者遠藤は、本件配転当時既に結婚しており、妻は愛知県安城市の出身であった。

3  当事者窪田

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者窪田は、熊本県水俣市の出身で、地元の熊本県立水俣工業高校機械科を卒業後、昭和四三年四月、当事者会社の安城工場に勤務地を限定せずに採用された。当事者窪田は、製造課第一係でゴム練り、かくはん作業に、同課第二係で溶剤展布作業に、同課第四係で検査、包装作業に従事した後、本件配転当時は、再び同課第二係第四班で溶剤展布作業に従事していた。その間、同当事者は、当事者組合の組合員として、安城支部青年婦人部の役員と支部統制委員をそれぞれ一年ずつ経験したが、本件配転当時は当事者組合の役員ではなかった。

当事者窪田は、昭和五二年一二月二一日付けで福岡支店鹿児島出張所への配転命令を受け、販売教育のためひとまず名古屋支店へ赴任するよう命じられた。しかし、同当事者は、右配転命令の効力を争って名古屋地方裁判所に地位保全の仮処分申請をし、昭和五三年三月三一日、右申請が却下されたため、同年四月中旬、異議をとどめて鹿児島出張所へ赴任し、以後販売業務に従事している。

なお、当事者窪田は、本件配転当時は独身であったが、鹿児島へ赴任した後、熊本県水俣市出身の女性と結婚した。

4  当事者都築

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者都築は、愛知県安城市の出身で、愛知県立西尾実業高校繊維化学科を卒業後、同県内の会社に就職したが退社し、昭和四六年一月、当事者会社の安城工場に勤務地を限定せずに中途採用され、以後一貫して製造課第二係で溶剤展布作業に従事し、本件配転当時は同係第二班に所属していた。その間、当事者都築は、当事者組合の組合員として、昭和四九年度には安城支部執行委員、昭和五〇年度には支部選挙管理委員、昭和五一年度には支部執行委員の地位に就き、昭和五二年度には引き続き支部執行委員に選出されて支部組織部長に就任し、本件配転当時もその地位にあった。

当事者都築は、昭和五二年一二月二一日付けで名古屋支店への配転命令を受けた。同当事者は、右配転命令の効力を争って名古屋地方裁判所に地位保全の仮処分申請をしたものの、昭和五三年二月には異議をとどめて名古屋支店に赴任し、同年三月三一日に右仮処分申請が却下されたこともあり、以後、片道約一時間三〇分をかけて名古屋支店に通勤し、販売業務に従事している。

三  本件配転以前の労使関係

1  事前協議協定と配転に関する覚書

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者組合は、当事者会社との間でいわゆるユニオンショップ協定を締結し、原則として係長以上の者を除く全従業員を組合員としており、従業員の労働条件に関する事項について当事者会社との間に多数の労働協約を締結していた。この労働協約の中で、取り分け重要なものに、昭和四九年七月二六日付けで締結された事前協議協定があった。

この事前協議協定は、第一項として、当事者会社が工場閉鎖等の経営上の重大な変更を行うときは、中央労働協議会において当事者組合と事前に協議すること、第二項として、当事者会社が新規設備の導入その他労働条件に影響を及ぼす諸施策を実施する場合は、労働条件の維持向上、安全衛生条件の優先を基本として、事前に当事者組合と協議決定すること、及び第三項として、同協定の有効期間を三年間とすることを合意したものであった。

当事者会社の人事部長代理と当事者組合の中央書記長とは、事前協議協定と同日付けで、二通の覚書を取り交わした。その一つは「事前協議協定第二項には、機械の導入等による配転、転勤は含むが、通常の配転、転勤は含まない。」とするものであり、他の一つは「配転・転勤に関し、昭和四六年一月二一日の中央労協の確認に基づき、当事者会社は該当者に打診程度にとどめ、労使協議しまとまった後、覚書を交わし辞令を出す。」とするものであった(以下、後者の覚書を「七・二六覚書」という。)。

昭和四九年一二月から翌五〇年一月にかけて数回の配転が行われたが、その手続は、いずれも七・二六覚書にのっとり、①当事者会社が当事者組合へ配転の具体的な申入れをする、②当事者会社が配転予定者にその意向を打診する、③当事者組合が配転予定者から事情を聴取する、④当事者会社と当事者組合間で協議を行う、⑤右協議成立後にその合意内容について配転予定者の応諾の意思表示を得て、当事者会社と当事者組合間で覚書を作成し、当事者会社が発令する、という手順で進められた。

2  当事者会社の業績悪化と新経営改善計画

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者会社は、昭和四九年度下半期(同年六月から一一月まで。同社の決算期は毎年一一月三〇日で、前年一二月一日から当年一一月三〇日までを一年度としていた。)以降赤字経営が続き、昭和五一年一一月末には、累積赤字が約二七億円に達し、自己資本総額に近い状態となった。この間、当事者会社は、昭和五〇年二月二六日に第一次の経営合理化計画を策定して当事者組合に申し入れ、希望退職者を募って約五五〇名の人員を削減し、同年九月一九日には経営改善計画を策定し、翌年度からの黒字経営への転換と昭和五三年度までに累積赤字を解消することを目標とした。しかし、当事者会社は、昭和五一年度も大幅な赤字を出し、同年五月一日に半額増資を行い、増資した全株式を訴外大鵬薬品工業株式会社に時価で割り当てることにより、ようやく債務超過に陥ることを回避していた。

当事者会社は、このような状況を打開するため、昭和五一年一〇月二三日に新経営改善計画を策定し、当事者組合に提示した。この計画は、当事者会社の主な問題点は生産コストが高いことと販売力が弱いことにあるとし、これを解消するために、販売部門においては生産部門から販売部門へ従業員を配転することによって販売員を増強し、生産部門においては、積極的な設備投資により生産の機械化を進めるとともに、人員配置の効率化を図るというもので、その目標は、翌五二年度上半期から経常段階で黒字に転換し、昭和五四年度末までに累積赤字を解消することにあった。その具体的施策としては、まず、販売員増強のため、昭和五一年一二月一日に、本社販売間接部門及び生産部間接部門から約一〇〇名を販売部門に配転し、その後も再建策の実施状況に応じて販売員の増強を図るとし、他方、生産部門の人員配置効率化のため、勤務形態を、当時の四班三交替、休憩二交替制から、翌五二年一二月一日以降、三班三交替、休憩三交替制に変更することが含まれていた。すなわち、この計画は、従来、当事者会社の再建策がややもすると人員削減や生産設備の売却などによる縮小均衡策によっていたのを改め、積極的な拡大均衡策をとることを意味し、それによって、従業員全員の雇用を保障する旨明言していた。また、この計画では、昭和五一年度下半期から昭和五四年度下半期までを再建期間とし、その間の一時金を各半期とも給与の二か月分とするなど、人件費の面でも当事者組合の理解と協力を要請していた。そして、当事者会社は、右の計画を当事者組合に提示すると同時に、再建期間中事前協議協定の効力を凍結したい旨申し入れた。

これに対し、当事者組合は、右計画に示された一時金の支給割合などを不満として、同年一一月下旬から翌五二年一月一二日までストライキを実施した。

3  再建協定の締結

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者会社と当事者組合とは、昭和五二年一月二九日、当事者会社の再建についての協定(以下「再建協定」という。)を締結した。再建協定では、①昭和五四年末までを再建期間とし、同期間中は労使問題は平和裏に解決すること、②当事者会社は、再建期間中、組合員の雇用を保障し、賃金引上げは物価上昇見合い分とし、年間の一時金は給与の四か月分とすること、③再建期間中は、販売体制、生産体制及び勤務態様の変更等について、生産性を高める方向で、当事者会社と当事者組合が協議し、現実に即して弾力的に運用すること、④新経営改善計画に基づく販売部門への配転については、当事者会社の提案に基づき実質的解決の方向で早急に協議すること、⑤事前協議協定の運用は弾力的に行うことが合意された。また、当事者会社と当事者組合とは、同日、再建協定にいう労使問題を「平和裏に解決する」とは、争議行為を行わない趣旨であること、及び同じく「組合員の雇用を保障する」とは、希望退職を含めて解雇は一切行わない趣旨であることを確認する旨の覚書を取り交わした。そのほか、当事者会社の人事部長と当事者組合の中央書記長とは、同日、配転については、七・二六覚書及びそれによる労使慣行にのっとり実施する旨の覚書を取り交わした。

その後、同年二月一四日までに、前記販売部門強化のための配転が行われた。その手続は、同年一月二六日の当事者会社の申入れ以降、従前と同様の手続で短期間に行われた。その際、安城工場の警備職一一名を販売部門へ配転するとの点は、極端な職種変更になることを考慮して工場内部での配転に変更され、他に配転について異議を述べた六名については、配転先を変更するなどの措置がとられた。こうして、同一勤務場所内の配転を含めると一三〇名余り、勤務場所の変更を伴うもののみでは八〇名が配転されたが、後者のうち、当事者組合の役員は、中央委員一名、支部執行委員七名の計八名であり、安城工場から他に配転された一二名の中には、支部執行委員と中央統制委員が各一名含まれていた。

また、当事者組合は、長期間のストライキによる生産の減少を補うため、同年五月末まで、隔週毎に休日とされていた土曜日にも、休日出勤による割増手当を要求せずに組合員を工場で稼働させるなど、再建協定の趣旨に従う姿勢を示した。

4  事前協議協定の失効と労働時間の延長

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

事前協議協定は、その有効期間が前記のとおり昭和五二年七月二六日に満了することとなっていた。当事者会社は、再建策を実行するには経営に弾力性を与えなければならず、そのためには事前協議協定の効力を凍結せざるを得ないと考え、同月二二日、当事者組合に対し、右有効期間満了後は改めて事前協議協定を締結する意思のないことを通知した。更に、当事者会社は、同年八月一六日、当事者組合に対し、常日勤職場の労働時間を一日七時間から八時間に延長すること(ただし、給与月額は従前のままとする。)などを申し入れ、同月一八日には、同月末までに当事者組合の同意が得られなければ、この時間延長を一方的に実施する旨通告した。

当事者組合は、同月一九日及び二〇日の両日、第三六期中央定期大会を開催し、今後の運動方針及び役員人事を満場一致で採択してその態勢を整えた後、同月二三日、二九日、翌九月八日の三回にわたって、当事者会社と労働時間延長問題について協議した。一連の協議では、当事者会社は、申入れ自体が最低線であるとして全く譲歩の姿勢を示さず、当事者組合も、終始反対を唱え、最後に一日三〇分程度の延長には応じる旨の妥協案を示したが、当事者会社がこれを拒否し、交渉は決裂した。その後、当事者組合は、この問題について中央労働委員会にあっせんを申請したが、当事者会社は、このあっせんに応じることも拒否し、同月一三日から業務命令によって労働時間の延長を実施した。

当事者組合は、当事者会社の右措置は、既存の労働協約を適式な手続をとらずに一方的に破棄するものであるとして、強く反発したが、再建協定で争議行為をしない旨約したため、これを阻止しようにも争議行為をすることはできず、他に有効な対抗手段もないことから、右措置の違法性を裁判で明らかにする方針を立てた。そして、右措置によって影響を受ける常日勤者のうち、当事者組合中央副執行委員長の中島孝之ほか八名が、東京地方裁判所に対し、延長された時間内の就労の強制禁止を求める仮処分申請をした。(なお、東京地方裁判所は、昭和五四年六月七日、右仮処分申請事件について、当事者会社は既存の労働協約について適式な解約手続をとらないまま右協約に反する業務命令を発しており、その措置を正当化する事由は認められないとして、右申請を認容する趣旨の決定をした。当事者会社は、右決定について東京地方裁判所に異議を申し立て、同異議事件は現在同裁判所に係属中である。)

5  誓約署名

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者会社は、当事者組合が裁判闘争に出たことを会社の方針に対する挑戦であるととらえ、当事者組合の行動は会社再建に資するものではない旨批判した。また、当事者会社の専務取締役である岡田茂生、大塚光一、茂手木秀一及び前田邦夫は、昭和五二年九月二一日、従業員らに対し、当事者組合執行部の行動は当事者会社として断じて容認できないと主張するとともに、「私は企業再建に係る会社諸施策の具体的実施に当り、誠意を以って対処し、且つ業務の遂行に当っては、誠実に遵守し履行することを誓います。」との誓約署名簿に署名して、会社再建への熱意と協力を表明するよう呼び掛けた。当事者会社は、社内報を用いて同旨の呼び掛けを行うとともに、全管理職に対し、右四専務の呼び掛けの趣旨を部下に説明し、署名を集めるよう命じた。こうして、当事者会社では、同月下旬から翌一〇月上旬にかけて、各事業所で、管理職がその部下である当事者組合の組合員らに対し、勤務時間中公然と誓約署名をするよう説得した。

これに対して、当事者組合は、右署名活動は労働組合の運営に対する支配介入であるとして、組合員らに対し、署名を拒否するよう指令し、同年九月末からは、これに対抗して団結署名と称する組合への団結を表明する署名活動を行うとともに、大阪府、愛知県及び埼玉県の各地方労働委員会に不当労働行為救済の申立てを行った。安城支部においては、支部役員らが、各組合員の家庭を訪問するなどして、誓約署名に応じないよう説得を行ったが、他方、当事者会社も、管理職が同様に家庭訪問によって誓約署名に応じるよう説得活動をしており、両者が路上で出会うこともあった。更に、当事者会社は、当事者組合が右救済申立てを行ったことをも批判し、双方の対立はますます深まった。(なお、右各救済申立てについては、大阪府地方労働委員会が昭和五四年二月二六日に愛労委が同年六月二八日に、それぞれ当事者組合の主張を認めて救済命令を発し、後者については、被告中央労働委員会も、昭和五七年四月二四日、当事者会社の再審査申立てを棄却した。)

四  本件配転前後の状況

1  当事者会社による本件配転の方針決定

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者会社は、昭和五二年度上半期には売上げが伸びてわずかながら黒字を計上したが、同年六月以降には極端な売上げ不振に陥って過剰在庫を抱えるに至り、そのまま推移すると期末には多額の赤字が発生することが予想されたため、生産調整を行い、工場で生じた余剰人員を販売部門への応援に派遣するなどしていた。

当事者会社は、同年一〇月半ばころ、このような状況にかんがみ、赤字の縮小と再建協定で約した雇用の確保とを実現するには、新経営改善計画で予定したとおり、同年一二月一日から工場の三交替職場に三班三交替、休憩三交替制を実施し、同計画において再建策の実施状況に応じて行うとされていた販売部門への第二次配転を早急に実施するほかないと判断した。そして、同年一〇月下旬には、三工場長のほか各部門の部長など合計一〇名からなる再建計画策定委員会を発足させ、第四次の再建策である中期経営改善計画を検討させたが、同委員会でも、販売の強化と生産コストの引下げの両面から諸施策を検討し、とりあえず右配転を早急に実施すべきであるとの結論に達した。その後、同委員会は、同年一一月二八日、右の内容を含む中期経営改善計画を作成した。

2  安城工場における予備調査の実施

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

再建計画策定委員の一人として本社に出張していた安城工場長塩田利一は、昭和五二年一〇月下旬、当事者会社の方針決定を受けて、配転の準備作業として早急に男子従業員全員を対象とした予備調査を行うよう安城工場の内田総務課長らに指示した。予備調査は、同月三〇日ころから約一週間、係長以上の管理職が手分けして男子従業員一五八名全員に個別的に面接して行われた。その際、管理職は、当事者会社の現状と配転の必要性を説明し、身上関係についての質問を行ったが、配転や配転先についての従業員の希望を質問することはなかった。ただ、従業員の中には、自ら積極的に配転や配転先について希望を述べる従業員もおり、それらは配転に当たっての重要な資料とされた。

なお、右予備調査終了後、安城支部は、支部組合員に対して配転に関するアンケートを実施したが、その結果、どうしても販売部門へ行かなければならないならば、名古屋支店へなら行ってもよいとする者が一六名いた。ただ、このアンケート結果は、当事者会社には全く連絡されることがなかった。

3  配転者の人選

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

当事者会社では、昭和五二年一一月一〇日ころ、本件配転案を具体化した際、各工場従業員の出身地分布を考慮し、埼玉工場からは主として関東以北の支店等へ、安城工場からは主として中部地方及び九州地方の支店等へ、大阪工場からは主として京阪神地方とその周辺の支店等へ、それぞれ配転する方針を立てた。これに基づき、安城工場からの配転者二八名は、仙台支店、東京支店及び横浜支店静岡出張所に各一名、名古屋支店に六名、同支店長野出張所に二名、京都支店に一名、大阪支店に二名、神戸支店に三名、広島支店に三名、高松支店に一名、福岡支店に四名、同支店鹿児島出張所に三名、それぞれ配転することとした(ただし、その後安城工場からの配転者を二五名としたことから、大阪支店及び広島支店への配転者をそれぞれ一名とした。)。

安城工場では、右方針が決定されたころから、これに従って具体的な人選に着手した。

当時、同工場には、総務、管理、生産技術、工務及び製造の五課があり、各課の管理職を除く男子従業員の人数は、総務課五名、管理課七名、生産技術課一〇名、工務課一七名、製造課一一九名(そのうち、第一係二三名、第二係六三名、第三係一九名、第四係一四名)の合計一五八名であった。その勤務態様は、製造課第一係が二班二交替勤務、同課第二係と工務課ボイラー係が四班三交替勤務で、その他はすべて常日勤勤務であった。そこで、同工場では、製造課第二係の勤務態様を三班三交替、休憩三交替制とすることにより同係の人員を二〇名削減し、工務課ボイラー係の夜勤業務を外注化することにより同係の人員を五名削減し、更に、その後予想される生産量等にかんがみ、製造課第一係から二名、同課第四係から一名の人員を削減し、これらによって二八名の者を配転することとした(ただし、その後、ボイラー業務の外注化がとりやめとなったため、ボイラー係の人員削減は同係への三班三交替制導入による二名にとどまり、配転者数も合計二五名に変更された。)。ただ、配転者を人員の削減される部署のみから選定すると、販売業務への適性などの点で問題が生じると考えられたため、男子従業員一五八名全員を配転候補者とし、配転によって生じる各部署の人員の過不足は工場内部の配転によって解消することとした。

具体的な人選に当たっては、工場に少数精鋭主義による生産力の確保に資する人材を残すこと、及び販売力強化に資する人材を販売部門に配転することの二点を基本とし、次のような諸事由が総合的に考慮された。すなわち、配転者から除外する方向で考慮する事由として、①当面他の者に代替できない技能習熟者や指導者、②夫婦共働きの者、③身体障害者や傷病による療養中の者、④農漁業を兼業する者、⑤家庭に老人を抱えているなど事情のある者、⑥中高年齢者などが考慮され、配転者に加える方向で考慮する事由として、①販売部門への配転を希望する者、②前記配転予定地周辺の出身者、③販売業務の適性、可能性を有する者、④単身赴任可能な者などが考慮された。そして、当事者組合の役員であることは、一般的な人選基準としては考慮されなかった。(なお、当事者会社は、男子従業員全員から、まず配転候補者から除外する事由のある者をすべて除外し、残った者の中から配転者を選定した旨主張し、《証拠省略》中にはこれにそう部分もあるが、前記乙第三三二号証(当時の安城工場製造課長泉妻巖の証言)中には、前記認定のように配転者から除外する方向で考慮する事由とこれに加える方向で考慮する事由とを総合的に考慮したとの部分があり、当事者会社の右主張は、まず除外されたのが具体的に誰なのかを明確にしておらず、この点は証拠上も一部を除き明らかでなく、あいまいであること、及び《証拠省略》によると、初審の当初の段階での当事者会社のこの点についての主張は若干右と異なっていると認められることなどに照らすと、右各証拠中の当事者会社の主張にそう部分はにわかに信用できず、この点については、右乙第三三二号証により前記のように認定することができる。)

前記のような人選基準によって、安城工場では三二、三名の者を選定し、これを販売部門との間で調整し、同年一一月末までには二五名の配転予定者が決定された。その内訳は、製造課第一係から四名、同課第二係から一〇名、同課第三係から五名、同課第四係から二名、生産技術課から二名、工務課から二名となっていた。これらの中には、当時製造課第二係に所属していた当事者窪田及び当事者都築、同課第三係に所属していた当事者遠藤も含まれていた。

当事者会社は、右三当事者については、配転者から除外すべき事由はないと判断した。そして、配転者に加える方向で考慮する事由としては、当事者遠藤及び当事者窪田については、いずれもその出身地が重視された。すなわち、当時安城工場の男子従業員のうち九州出身者は一四名いたが、その出身地は福岡県三名、佐賀県一名、長崎県五名、態本県三名(当事者窪田を含む。)、鹿児島県一名(当事者遠藤)、大分県一名となっていた。そこで、当事者会社は、鹿児島出張所へ配転すべき三名には、唯一の鹿児島県出身者である当事者遠藤と、その隣県出身者である当事者窪田及び長崎県出身で両親が鹿児島に在住し、本人も鹿児島弁を解する上之孝二が適当であると判断した。そのほか、当事者会社は、右両当事者がいずれも長男で、いずれはそれぞれ出身地に在住している両親の世話をしなければならない旨予備調査で述べていたこと、当事者遠藤については性格が明るく販売適性を有すると当事者会社が判断したこと、当事者窪田については健康で知識欲、好奇心がおう盛で販売適性を有すると当事者会社が判断し、しかも当時独身であったことなどを考慮し、右両当事者を配転予定者として人選した。

また、当事者都築については、当事者会社は、同当事者が愛知県安城市の出身で名古屋支店へは自宅通勤が可能であること、及び明るい性格で販売適性があり、前記1の販売応援活動で好成績を挙げたと評価していたことから、名古屋支店への配転予定者として人選した。(当事者会社は、当事者都築の人選理由として、以上のほかに、同当事者が予備調査の際に自宅通勤可能な地域なら配転に応じてもよい旨述べたことを挙げており、《証拠省略》中には、同当事者がそのような発言をしたとの部分もあるが、右部分は、これに反する《証拠省略》に照らし、にわかに信用できず、他にこれを認定するに足りる証拠もない。)

なお、配転予定者二五名中には、支部書記長である当事者遠藤のほか、五名の支部執行委員(うち一名は中央委員を兼務)が含まれており、当時、支部三役と男子の執行委員は合計一七名であったから、その三分の一以上が配転予定者となっていた。また、安城工場の男子従業員一五八名中、前記三5の誓約署名に応じた者は九八名、応じなかった者は六〇名であったが、右配転予定者についてこれをみると、誓約署名に応じた者は一二名、応じなかった者は一三名であった。

4  本件配転の申入れと当事者組合の対応

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

当事者会社は、昭和五二年一一月一〇日ころまでに、三班三交替、休憩三交替制及び安城工場のボイラー業務外注化を実施すること、並びにこれらによって生じる余剰人員七三名(うち安城工場二八名)を販売部門に配転すること及びその配転先ごとの人数等を具体的に決定し、これらを同月一五日の中央労働協議会の席上で当事者組合に申し入れた。

これに対し、当事者組合は、当初、休憩三交替制の実施はやむを得ないとしたが、三班三交替制及び安城工場ボイラー業務の外注化には反対し、配転は七・二六覚書に基づく従来の手続で行うべきであるとの態度をとった。

その後の交渉で両者が歩み寄り、当事者組合は三班三交替制の採用に同意し、当事者会社は、安城工場のボイラー業務外注化をとりやめ、それに伴って配転者数を七〇名(うち安城工場二五名)とした。しかし、配転の手続については両者間で意見が一致しなかった。すなわち、当事者会社は、七・二六覚書は事前協議協定と共に失効したとの前提に立ち、従来の方法に考慮は払うが、配転は基本的に会社の経営権、人事権に属することであるから、当事者会社主導によって進めるべきものであるとの態度をとった、他方、当事者組合は、七・二六覚書がいまだ効力を有するとの前提に立ち、配転手続も同覚書及びそれによる慣行にのっとって行われるべきであるとし、ただ、従来会社は配転予定者に打診程度しか行えないとされていた点は、管理職の者が説明を行うと改めてもよいとの態度をとった。

このように配転手続について意見が一致しない状態であったが、当事者会社と当事者組合は、同月三〇日、以上の問題について覚書を取り交わした。その内容は、三班三交替、休憩三交替制を実施すること(ただし、その詳細は事業所支部協議会で協議する。)と、安城工場のボイラー夜勤業務は外注化せず社内要員で実施することのほか、「配転問題については従来のやり方に考慮を払い、個々人への説明は職制が行い、組合を通じての苦情申立てがあれば会社は誠意をもって労使協議し解決に当たる。」との条項を含んでいた。右配転手続に関する条項は、ほぼ当事者会社の見解に沿うものであるが、当事者組合側は、覚書を取り交わした直後その席上で、配転手続は従来どおりと解釈する旨の見解を表明し、当事者会社側はあくまで右覚書の内容による旨発言した。

安城支部では、右覚書に基づき、同年一二月一日及び二日の両日、安城工場長らと協議を行い、同月二日、同工場長との間で、三班三交替、休憩三交替制実施後の定員や勤務態様について合意し、覚書を取り交わしたほか、配転と右勤務態様の変更等との関係について、配転は各支部、事業所間で定員改定等について協議が整ってから実施すること、及び「工場内配転及び班編成については転勤者が確定した後に組合に連絡し実施する。ただし、組合を通じて苦情申立てがあれば会社は誠意をもって労使協議し解決に当たる」ことを合意し、その旨の覚書を取り交わした。

また、安城支部は、同日、右協議の席上で工場側に対し、「従来の慣行に従い」中央執行委員及び支部三役(支部長、副支部長、支部書記長)の配転は行わないこと、並びに中央委員、支部執行委員及び青年婦人部役員については組合運営上支障のないよう配慮することを文書で申し入れた。しかし、工場側は、配転は男子従業員全員が対象であるから、支部の申入れについては配慮できない旨回答した。

なお、従来、安城支部の右申入れの趣旨に沿う労働協約や覚書はもちろん、労使間における口頭の了解もなかったが、安城工場が開設されて以来、同工場からの配転は、本件配転の前までは、同年二月のものを除き、個別的な事情に基づく少人数のものや新入社員の研修に伴うものに限られていたため、事実上、支部三役が配転されたことはなかった。

5  当事者組合内部の対立

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

前記三5の誓約署名には、当事者組合が拒否指令を発したにもかかわらず、前記のように多数の組合員がこれに応じており、折から昭和五二年九月下旬には、これに関連して当事者組合の中央書記長と本社の従業員で組織する九段支部の支部長とが辞任するなど、当事者組合では、その組織上重大な問題が生じていた。更に、安城支部の組合員で当事者組合の執行部の方針に批判的なものが同年一一月二六日ころ「安工新しい流れの会」を結成し、「私たちは会長の指示に従い会社再建に向って全面的に協力し、粉骨砕身働きます。」との内容の嘆願書を作成して、これへの署名運動を開始した。この動きは、直ちに全社に広まり、右署名活動が一部では就業時間中に会議室等の会社施設を利用して行われたこともあって、当事者組合は、右署名活動を分派行動と断じ、同年一二月一二日、組織点検のため組合員全員に団結署名を求め、これに応ぜず、脱退もしない者には、組合規約上の権利の大部分を停止する措置をとった。こうして、右嘆願書に署名した者と団結署名を行った者とは、以後深刻な対立を続け、後に昭和五五年六月八日、前者に属する者らによって全ニチバン労働組合が結成されるに至った。

6  本件配転の発令

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

安城工場では、昭和五二年一二月八日、安城支部に対して前記3の二五名の配転予定者名簿を提示した。これに対して、安城支部は、翌九日、右名簿中に前記のとおり組合役員が多数含まれていることについて抗議し、配転予定者を変更するよう文書で申し入れた。そして、安城支部は、同日から同月一一日にかけて工場側と交渉し、配転予定者に当事者組合の役員や熱心な活動家が多く含まれていることについて重ねて抗議し、配転希望者を募るなどして配転者の差し替えをすること、もしそれによって予定の人員に達しないときは配転人員を減らすことを申し入れた。しかし、工場側は、右申入れをすべて拒否し、同月一二日には、右二五名のうち配転を承諾した一二名について、正式に配転を発令した。

その後、安城支部は、前同旨の申入れをし、工場側との協議を申し入れたが、正式の協議会は同月二一日まで開かれなかった。この間、工場側は、配転を拒否している者に対し、個別的に説得を試みたが、小林晴雄について配転先を当初の京都支店から名古屋支店に変更したほかは、配転者や配転先の変更には一切応じなかったし、配転希望者を募ることもしなかった。また、配転者の人選基準については、当事者会社は、安城支部から再三説明を求められたにもかかわらず、終始これを説明しようとはしなかった。

安城工場では、同月二〇日、配転を承諾しなかった一三名のうち、退職を申し出た松原初男を除く一二名について、翌二一日付けの配転命令を発した。そのうち七名は間もなく配転先に赴任したが、当事者遠藤、当事者窪田、当事者都築のほか、当時支部執行委員で福岡支店鹿児島出張所へ配転を命じられた上之孝二、及び当時中央委員兼支部執行委員であり、福岡支店へ配転を命じられた嶋慶一の五名は、配転を拒否し、配転命令の効力を争って名古屋地方裁判所に地位保全の仮処分申請をした。

右三当事者の配転拒否理由は、要約すると、本人が配転を希望せず、販売適性がないと考ええいるにもかかわらず、一方的に配転を命じられたこと、及び本件配転は次のとおり右三名の組合活動を嫌悪してされたものと考えられることの二点である。すなわち、当事者遠藤は、前記のとおり支部書記長として支部長を補佐して書記局を統括する立場にあり、安城支部の活動全般に重要な役割を果たしていたこと、当事者窪田は、当時組合員ではなかったが、前記昭和五一年末のストライキ以来、当事者組合の方針に従い、他の組合員をオルグするなど熱心に組合活動を行っており、前記団結署名を行っていたこと、また、当事者都築は、前記のとおり支部執行委員兼組織部長で(ただし、組織部は支部書記局内の一部局であり、同当事者が組織部長であることは当事者会社には通知されていなかった。)、組織内部の対立が深刻化していた安城支部において、その責任者として活動していたこと、以上の点から右三当事者は、このような組合活動を当事者会社が嫌悪して本件配転を行ったものと判断していた。

五  本件配転後の状況

1  本件配転後の労使関係

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

当事者会社は、昭和五二年一二月九日、当事者組合に対して、再建計画の実施に必要であるとして、既存の労働協約で定められていた隔週の土曜休日を廃止することなどの労働時間の変更や時間外手当及び休日勤務手当の割増率の引下げ等を申し入れ、翌五三年二月二四日には、これらについて当事者組合の同意を得ないまま、既存の労働協約を一方的に解約した。また、当事者会社は、同年一月二〇日、当事者組合と協議もせずに、前年に締結した再建協定を一方的に解約した。当事者組合は、当事者会社の以上の措置に反発し、従前どおり隔週土曜日には出勤しないよう組合員に指示するなどして対抗した。

このように、前記三4の労働時間延長問題や本件配転問題に続き、労使間では次々と問題が発生し、その対立関係はますます深まった。

2  仮処分決定後の当事者遠藤の処遇

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

名古屋地方裁判所は、昭和五三年三月三一日、前記四6の仮処分申請について、当事者遠藤及び上之が勤務場所を当事者会社安城工場製造課とする労働契約上の地位を有することを仮に定める旨並びに当事者窪田、当事者都築及び嶋の申請をいずれも却下する旨の決定を下した。当事者会社は、右決定に不満があったが、これに対して不服の申立てはしなかった。この決定を受けて、申請を却下された三名は、それぞれ異議をとどめて配転先に赴任し、当事者遠藤と上之は、当事者組合と共に、当事者会社に対して原職復帰を要求した。これに対して、当事者会社は、右両名の復職後の配置について、本件配転後、三班三交替制等の実施に伴う要員体制を確立するため内部配転を行ったこと、及び、従前の製造課については、その第一係を第一製造課とし、第二係を第二製造課とし、第三及び第四係を第三製造課とする組織変更を行ったことを理由として、右両名を原職に復帰させることはできないとし、当分の間、両名を第三製造課長付として同課長の特命業務を担当させることとする旨回答した。右両名及び当事者組合は、この回答を不満とし、労使協議が続けられた。

その後、当事者会社は、同年七月一二日、当事者遠藤及び上之について、本件配転命令を撤回し、かつ、第三製造課長付を命じ、その期間は同年一一月末までとし、具体的な業務内容は工場長が指示するとの発令をした。右両名は、同年七月一九日、これに異議をとどめて従った。上之は右の期間満了の翌日の同年一二月一日付けで第三製造課第二係に配転されたが、当事者遠藤については、右期間満了後も同当事者を充てるべき欠員がないこと及び特命業務が残っていることを理由に、引き続き第三製造課長付とされた。

その後、当事者会社は、昭和五四年六月七日、安城支部との間で、当事者遠藤の配置を第三製造課長付から他へ移すことについては同年一一月末を目途に解決するよう努力する旨の覚書を取り交わした。しかし、当事者会社は、右期日を過ぎても、当事者遠藤を第三製造課長付のままとし、昭和五五年五月一二日に至り、ようやく同当事者を第三製造課第二係主任に配転した。なお、同当事者の本件配転前の職場に相当する職場は、第三製造課第一係であり、同日の時点では同係に一名の人員が必要であったが、当事者会社は、同日付けで同課第二係の上之を第一係に配転し、当事者遠藤を第二係に配転したものである。

当事者遠藤が第三製造課長付として行った業務は次のとおりである。

(一)  簡易カッターの入替え、仕立て直し作業

当事者遠藤及び上之は、昭和五三年七月から一二月始めまで右作業を行った。これは、当時テープの個箱に入っている金属製簡易カッターに不良品が大量に発生したため、これを優良なものと入れ替え、製品として仕立て直す作業で、特に経験や技術を必要としない全くの単純作業であった。不良品の総数は四〇万個を超え、安城工場ではこの作業を各職場に割り当てていたが、当事者遠藤及び上之の両名(ただし、同年一二月一日以降は当事者遠藤のみ)は、ほぼ専属でこの作業を行い、約半数を処理した。右両名の作業の場所は、他の従業員のほとんど出入りしない資材置場であって、照明が十分でなく、冷暖房設備もないところであったため、右両名は、夏の間は天井のダクトから冷気を誘導して暑さをしのぎ、同年一一月初旬には寒さのため会議室へ作業場所を移した。また、他の職場では、この作業を本来の作業の合間に行う程度であったが、右両名は、後記(二)、(三)の業務に従事するとき以外は、これを終日行っていた。

(二)  不良テープの実態調査

当事者遠藤及び上之は、(一)の作業と並行して、同年七月から一一月までの間に四、五回、廃棄される不良テープの実態調査を行った。この作業は、製造過程で不良テープとして廃棄されるものの中に再生可能なものがどの程度含まれているかについての実態調査であって、一、二週間ごとに、一回一時間程度の時間で、上之が主として行い、当事者遠藤はこれを手伝った。作業の内容は、焼却炉のそばで、段ボール箱に入れて運ばれてくる不良テープから一定量を抜き取って、再生可能物の有無とその割合などを調べるもので、裁断・包装工程の経験のある者ならば誰にでもできる作業であった。抜き取った物の調査は他の場所でもできたが、当事者会社は、抜き取り自体は製造工程の者の見ていないところでするべきだとして、焼却炉のそばで行わせた。また、不良テープを入れる段ボール箱には一般のごみを入れないよう指導されていたが、現実には一般のごみが混入している場合もあった。なお、この作業の実施によって、廃棄物中に含まれる再生可能品の割合が著しく減少するという成果が上がった。

(三)  作業環境測定業務

当事者遠藤は、昭和五三年一一月下旬から一二月にかけてと、昭和五四年五月及び一一月の三回にわたって右業務を行った。この業務は、毎年二回行うよう法令によって義務付けられている業務で、第一及び第二製造課のうち有機溶剤を取り扱う職場において、職場内の空気中の溶剤ガス濃度を測定するものである。作業環境測定士の資格を有する第一製造課長がこの作業の責任者となり、当事者遠藤及び総務課の者二名が手伝い、生産技術課検査室の機械を用いて行った。この業務は、従前外部の専門業者に委託して行っており、生産技術課が所管していた。

(四)  外注(包装)管理業務

当事者遠藤は、昭和五四年一月から翌五五年五月一二日に配転されるまでの間、(三)の業務を行うとき以外は、毎日この業務に従事した。安城工場ではテープの包装業務を訴外安城包装株式会社に外注しており、同社では更に家庭内職者にこれを請け負わせていた。ところが、小売業者等から、テープの入っていない商品があるとか、数量不足があるとかの苦情が多く、その原因は家庭内職者の作業実態にあると考えられたために、安城工場では専従者を置いて外注管理業務を行うこととした。当事者遠藤は、一人で右業務を担当し、毎日、家庭内職者を個別に訪問し、その作業実態の調査と指導を行い、その結果、前記のような苦情は大幅に減少した。当事者遠藤が右業務を離れてからは、安城工場では、生産技術課で納品検査などは行うものの、内職者の管理は安城包装株式会社を通じて行うようになった。なお、安城工場では、以前にも同様の苦情が寄せられた際、生産技術課から専任者を派遣して外注管理業務を行ったことがある。

3  本件配転以降の安城工場における人員配置状況

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

安城工場の製造部門からは、昭和五二年一二月から昭和五三年一一月にかけて九名の男子従業員が退職しており、このうち当事者遠藤が本件配転前に所属していた職場に相当する第三製造課第一係(裁断部門)からは、昭和五三年七月三一日に川股主任が退職しているが、当事者会社は、その後任に第二製造課の者を充て、いずれの場合も工場全体としては人員の補充を行わなかった。また、当事者会社は、同年六月一四日の中央労働協議会において、安城工場第二製造課が完全に稼働すると、その後の工程である第三製造課第一係及び第二係では、その人員上の制約からこれを処理しきれない旨説明したが、右各係への人員補充の措置はとらなかった。その後、同年一二月には、同課第一係に新たに機械を導入することなどに伴って工場内部での配転が行われ、前記のとおり、上之はこのとき同課第二係に配転されたのであるが、その際同課第一係には他から七名が配転された。安城支部は、昭和五四年三月三日、同係が人員不足の状態にあり、他からの応援を得ている旨指摘し、当事者遠藤の原職復帰を要求した。そして、同年六月七日、当事者会社と安城支部とは、同月一一日以降、同係に男子従業員四名を増員すること(ただし、女子従業員は四名減員)や、前記のとおり当事者遠藤の配置を第三製造課長付から他へ移すことについては同年一一月末を目途に解決するよう努力することなどを含む覚書を取り交わした。

六  本件配転の不当労働行為性の有無

一般に配転命令が労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為となるか否かを判断するに当たっては、当該配転命令が発せられるに至った経緯、その業務上の必要性、配転対象者の人選基準と具体的人選の合理性、当該労働者の組合における地位と活動状況、配転による組合活動への影響の有無、程度等の諸事情を総合考慮すべきである。ところで、前記認定に係る本件配転に至る経緯等に照らすと、本件配転についてはかなり高度の業務上の必要性が存在したことが明らかである。また、当事者遠藤、当事者窪田及び当事者都築については、その労働契約上、勤務地や職種が限定されていたものと認めることはできないし、他に特に配転を制限すべき事由も見当たらない。そうすると、本件配転は、正当な理由に基づかないものとはいえないのであって、これを不当労働行為と評価するためには、人選基準や具体的な人選が著しく恣意的であったり、当該労働者を配転することにより組合がその活動に重大な障害を受けるなどの実情があって、使用者の不当労働行為意思が明白に推認でき、それが配転の決定的理由になっているものと認められることが必要である。

このような観点から検討すると、当事者会社が本件配転に当たって用いた人選基準自体は一応妥当なものと考えられるし、具体的な人選の結果は、確かに、当時の当事者組合安城支部を支持する者の配転候補者中に占める割合と実際の配転者中に点める割合とを比較すると、同支部を支持する者がより多く配転されてはいるが、その程度にかんがみると、このことのみから人選が著しく恣意的に行われたとみることはできないし、他にこのような事情を推認させるに足りる事実関係も認められない。また、配転者の中には、確かに当事者組合の役員などが多く含まれてはいるが、安城支部の規模や従前の組合役員の配転状況などに照らすと、支部三役以外の役員については、その配転によって当事者組合がその活動に著しい障害を受けるものとは認めることができない。これに対し、支部三役、特に書記長については、その当事者組合における地位の重要性、当時の当事者組合内部において重大な組織問題が生じていたという事情、当事者組合と当事者会社とが当事者会社の再建問題について激しく対立していたという状況、及び従前支部三役が配転されたことがなかったことなどに照らすと、書記長が遠隔地に配転されることは、当時の状況下においては直ちに当事者組合の活動に著しい障害を生じさせると考えられるから、書記長の配転を特に必要とするような事情がない限り、その配転は当事者会社の不当労働行為意思がその決定的理由になっているものと推認すべきである。

以上によると、当事者窪田及び当事者都築については、その当事者組合における地位に照らすと、両者の配転によって当事者組合がその活動に著しい障害を受けるものと認めることはできないし、前記認定に係る人選理由も妥当なものと評価することができるから、右両当事者の配転が不当労働行為であるということはできない。

しかし、当事者遠藤の配転については、その支部書記長としての地位に照らすと、同当事者の配転は直ちに当事者組合の活動に著しい障害をもたらすものと認めるのが相当であり、他方、当事者会社の主張する人選理由に照らすと、なるほど当事者遠藤を鹿児島に配転することに全く理由がないわけではないと考えられるが、かといって、同当事者を同地に配転すべき必要性が特に存在するという事情もないと考えられるから、当時の当事者組合と当事者会社との対立状況等前記の諸事情にかんがみると、右配転は、当事者会社の不当労働行為意思がその決定的な理由となって行われたものと推認することができ、労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当するものといわなければならない。

七  配転命令撤回後の当事者遠藤の業務について

当事者遠藤に対する本件配転命令は、前記のとおり労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当するから、無効というべきである。しかも、当事者会社は、昭和五三年三月三一日、名古屋地方裁判所において、右同様の理由により、当事者遠藤が勤務場所を安城工場製造課とする労働契約上の地位を有することを仮に定める旨の仮処分決定を受け、これに不服申立てをしなかったのであるから、右決定後可及的速やかに同当事者を従前の職場に戻し、従前と同様の待遇をすべき法的義務を負担していたということができる。

ところで、前記認定に係る事実関係によれば、当事者会社は、本件配転後安城工場において内部配転及び組織変更を行っていたから、右決定後直ちに当事者遠藤を従前の職場に復帰させることは困難であったといえようが、同工場における当時の人員配置状況に照らすと、同当事者を少なくとも製造部門のいずれかに配置して通常の製造業務に従事させることは、同年七月の時点においても十分可能であったものと考えられる。そして、同当事者が同月一九日から昭和五五年五月一二日までに第三製造課長付として従事した前記五2の業務は、その内容及び業務が行われた場所などを考慮すると、確かに不要の業務とはいえないが、従前同当事者が従事していた業務とは著しく異なり、同当事者がこれに従事すべき必然性のないものであるばかりか、本来他の部署の者が担当すべきものも含まれていたということができる。このことと、同当事者組合における地位、本件配転自体が不当労働行為であること、及び本件配転後の当事者会社と当事者組合との対立関係を総合して考えると、当事者遠藤に右のような業務を命じた行為は、同当事者の組合活動を理由とする不利益待遇であり、かつ、当事者組合の活動に対する支配介入であって、労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当するというべきである。

八  結論

以上によると、本件命令が、当事者遠藤の配転が不当労働行為に該当し、当事者窪田及び当事者都築の配転がこれに該当しないとした点は相当であるが、本件配転命令撤回後当事者会社が当事者遠藤に前記のような業務を行わせたことが不当労働行為に該当しないとした点は失当であるから、取り消すべきである。

したがって、当事者会社の本訴請求は理由がないから棄却し、また、当事者組合の請求中当事者窪田及び当事者都築に関する部分並びに当事者窪田及び当事者都築の各請求もいずれも理由がないから棄却し、一方、当事者組合の請求中当事者遠藤に関する部分及び当事者遠藤の請求は理由があるから、これに基づき、本件命令中主文第2項記載の部分を取り消すこととし、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官 片山良廣 藤山雅行)

〈以下省略〉

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